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和の香トップページ > ミニチュア・フィギュア > 武将フィギュア 真田幸村 武将フィギュア 真田幸村 GE-162
日本一の兵として名を残す戦国時代の伝説の智将 真田昌幸の次男として生まれる。幼名・弁丸、本名は源次郎・信繁だが一般には真田幸村の名で知られている。生年は没年の49歳より逆算されており、月日は不明とされている。武田家滅亡後、真田家安泰のため兄・信幸は徳川家康の人質へ、信繁は豊臣秀吉へと預けられる。 秀吉没後は家康に従い会津征伐に従軍するが、石田三成の挙兵に父・昌幸と共に呼応し、兄・信幸と別れて離反。信州上田の拠って徳川秀忠軍3万8千人に対して2〜3千人の寡勢で数日の間籠城して撃退したため結果的に秀忠を関ケ原へ遅参せしめる功を立てた。 しかし西軍の主力が関ケ原で大敗したため敗者となる。死罪となるところを信幸と妻の小松殿が本多忠勝・井伊直政と語らって助名嘆願を行ってくれたために一命を取り留め父の昌幸と共に紀州高野山へと追放された。 1614年大阪方からの要請により大阪城に入城、6千人の指揮を任される。大阪冬の陣の籠城戦で大阪城の弱点である城の南方に「真田丸」と呼ばれた出城を造り、鉄砲隊を用いた奇策で徳川軍を苦しめた。 1615年夏の陣で幸村は3度目の徳川軍との交戦で正功法に転じて鎧を赤で統一した真田軍を引き連れ、家康を窮地に追い込む大活躍を見せたが、一歩及ばず戦死した。
力強い姿と思いに満ちた表情。
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